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大原麗子の死因は?どんな病気だった?渡瀬恒彦との離婚原因は家族が問題? [芸能]

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大原麗子さんは昭和を代表する女優さんで
晩年は病気と闘っていました。

大原麗子さんが亡くなった時は、
”死因が何だったのか?”
”どんな病気だったのか?”
随分と話題になりました。

また、大原麗子さんには2度の結婚歴があり、
1回目は渡瀬恒彦さん、2回目は森進一さんと
結婚していました。

離婚原因は、嫁姑問題とも・・・。

渡瀬恒彦さんや森進一さんとの離婚原因は
何だったのか?

ここでは、大原麗子さんはどんな病気と
闘っていたのか?死因は何だったのか?
渡瀬恒彦さんらとの離婚原因は?
について調べてみます。


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大原麗子はどんな病気だった?死因は?ギランバレー症候群とは?




大原麗子さんと言えば、年を重ねても
可愛らしさがある女優さんで、声も
特徴的で、数々の名作ドラマや映画で
活躍されていました。

〇大原麗子

本名:飯塚 麗子

生年月日:1946年11月13日

没年月日:2009年8月3日(満62歳没)

出身地:東京都文京区

血液型:AB型

活動期間:1964年 ~2009年

配偶者:渡瀬恒彦(1973年 - 1978年)
    森進一 (1980年 - 1984年)

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出典:beauty.geocities.jp

大原麗子さんは業界関係者にスカウトされ
芸能界入り。

1964年に、テレビドラマ『幸福試験』
出演でデビュー、翌年、東映へ入社。

1989年の橋田壽賀子脚本『春日局』では
大河ドラマ歴代3位となる平均視聴率32.4%
と高視聴率を出し、高い演技力も評価される。

数多くのCMにも出演し、中でも、
サントリーレッドのCMは大好評で
かすれた声で甘えるような
「すこし愛して、ながーく愛して」という
セリフが話題になり、1980年~1990年まで
CMは放送。

結婚歴は2回で、渡瀬恒彦さんとは、
1973年 に結婚し、1978年に離婚。

森進一さんとは、1980年に結婚し、
1984年に離婚。

最後のテレビドラマ出演は、離婚した元夫の
渡瀬恒彦さんとの共演で、2004年放送の
「十津川警部シリーズ」であった。

たくさんのドラマや映画、CMで活躍されて
国民的女優というイメージもあった
大原麗子さん。

しかし、その生涯はわずか64歳という年齢で
終わってしまいました。

大原麗子さんは晩年病気と闘っていたことで
有名でした。

それ故に亡くなられた時は、死因は何だった
のか?結局、どんな病気が死因に繋がったのか
話題になっていました。

さらに、国民的女優だったのに、最後は
孤独死だったことも大きな話題に。

最初の病気はどんな病気だったのかというと、
1975年の『ギラン・バレー症候群』でした。

『ギランバレー症候群』とは、
急性・多発性の根神経炎の一つで、
主に筋肉を動かす運動神経が障害され、
四肢に力が入らなくなる病気です。

ギランバレー症候群は10万人のうち、
数人が発症する病気だそうです。

1999年11月には、ギラン・バレー症候群が
再発したとして芸能活動を休止ていました。

なので、大原麗子さんが亡くなられた時は、
ギランバレー症候群も死因に関係している
のではという声もありました。

さらに、大原麗子さんは47歳の時に、
『乳がん』の病気も患い、手術をしています。

また、ギラン・バレー症候群の主治医が
亡くなってしまった後に、『うつ病』にも
なってしまいます。

晩年の大原麗子さんは、色んな病気に
苦しめられ闘っていたようです。

大原麗子さんが亡くなっているのが
分かったのは、2009年8月6日、
連絡が取れず不審に思って警察に通報した
実弟らによって、自宅で死亡しているのが
発見され分かりました。

行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。
死因は不整脈による脳内出血でした。

どんな病気が死因に繋がったのか、
テレビで大きく話題になっていましたが、
死因は脳内出血、発見されたのは亡くなってから
3日後という、孤独死になってしまいました。

国民的女優さんだったのに、孤独死って
なんだか寂しいですね。

大原麗子さんの家では、お手伝いさんなど
雇うことなく、病気を患いながらもご自分で
家事など生活していたのでしょうか?

お手伝いさんなどがいれば、もっと早く発見
できて、病院にも運ぶことが出来たかも
しれないし悔やまれます。


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大原麗子と渡瀬恒彦の離婚原因は?




晩年は、様々な病気と闘ってきた
大原麗子さんは2度の離婚を経験しています。

渡瀬恒彦さんや森進一さんとの離婚原因は
何だったのか?

渡瀬恒彦さんと大原麗子さんは東映出身。

大原麗子さんの方が先輩だったのですが、
大原麗子さんのひとめぼれで、渡瀬恒彦さん
との交際が始まったそうです。

その後、1972年に大原麗子さんと渡瀬恒彦さん
は婚約を発表し、翌1973年に結婚しています。

しかし、1978年に離婚、離婚原因は発表
されませんでしたが、家族との問題があった
のでは?と言われています。

大原麗子さんは生前、日記のような手記を
書いていました。

後に弟さんが明かした話によると、
『大原麗子さんは渡瀬恒彦さんのことを
 嫌いになって離婚したわけではなく、
 渡瀬家の家風に馴染めなかった・・・。
 渡瀬家では、女性は家庭に入り、
 子供を産み、夫を支える、という考え。
 しかし、結婚後も人気が高かった
 大原麗子さんは仕事が忙しく、
 渡瀬家と溝が深くなっていた。』
と、明かしています。

また、『別れてからも渡瀬恒彦さんのこと
 が好きで、結婚前には妊娠もしていたが、
 子宮外妊娠で病院に運ばれたこともあり、
 緊急手術もしていた。その時に血液型が
 同じ渡瀬恒彦さんからも輸血をしてもらい
 渡瀬恒彦さんと同じ血が流れていることを
 喜んでいた。』
と、語っています。

なので、離婚原因はお2人の不仲ではなく、
大原麗子さんと渡瀬家の家族間での問題が
離婚原因になったようです。

次に結婚し離婚した森進一さんとの離婚原因
は、”家庭に男が2人いた”と大原麗子さんは
語っています。

渡瀬恒彦さんとの離婚後もずっと仕事が
忙しかった大原麗子さん。

森進一さんと結婚した時も、仕事の忙しさは
変わらず、妊娠したものの、仕事のために
子供を諦めてしまったそう。

しかもその事実を森進一さんには、
打ち明けずに、弟さんが、話したそうです。

森進一さんとの離婚原因は、そのことが
原因ではないかと言われています。

けれど、離婚した渡瀬恒彦さんも森進一さん
も、大原麗子さんの葬儀に参列しており、
お2人とも離婚原因は、嫌いになったわけ
ではないことを察することが出来ますね。


その後も女優として活躍された大原麗子さん
は、病気になった晩年は、映画で共演した
高倉健さんに思いを寄せていたようです。

葬儀に参列できなかったものの、
大原麗子さんのお墓を掃除し、お墓に語り
かける高倉健さんの姿が目撃されています。


大原麗子の病気や死因 渡瀬恒彦との離婚原因のまとめ




大原麗子さんが苦しんだ病気はどんな病気
だったのか?

大原麗子さんの病気はギランバレー症候群、
乳がん、うつ病だったようです。

死因は不整脈による脳内出血が死因。

渡瀬恒彦さんとの離婚原因は、2人の
不仲ではなく、家族との問題。

以上、大原麗子さんの病気や死因、
渡瀬恒彦さんとの離婚原因についてでした。


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